土木史レポート
テーマ:東海道新幹線の歴史
Line1.テーマ選択の経緯

 現在、東京−新大阪を2時間40分で結んでいる東海道新幹線。それは開通から39年という月日を経ている。 この新幹線の計画自体は1940年に帝国議会で承認された、「広軌幹線鉄道計画」(通称 弾丸列車計画 東京−下関−朝鮮半島)が発端である。

 なぜ、新たな幹線鉄道が必要になったかというと、昭和10年頃から東海道線の旅客貨物の動きには、大きい変化が見られるようになってきたからである。旧日本軍の大陸進出と、それに伴う諸外国との紛争など、準戦時体制のような状態になった。当時、さらに中国大陸に勢力を伸ばそうとしていたため、中国東北地域との間の客貨の交流が顕著となったのである。 そして、それに携わった人物は島安次郎、島秀雄である。秀雄の父である安次郎は、広軌幹線鉄道の研究を高齢ながら仕上げ、秀雄は高性能機関車の設計にあたった。この弾丸列車計画は終戦とともに消えてしまったが、新幹線として復活した。

 この新幹線開業に向けて、どういった技術が生み出されたのか。そして、開業後、どのような進化をしたのか(車輌、中央新幹線計画など)を調べた。

Line2.島安次郎と島秀雄

島 秀雄(1901〜1998)

明治・大正期のわが国の鉄道技術の先覚者、島安次郎の長男として生まれる。鉄道省に入り、D51など高性能機関車を生み出す中心となって活躍。国鉄技師長として東海道新幹線を建設し、父の夢見た高速鉄道構想を結実させた。その後、宇宙開発事業団の初代理事長に就任、国産ロケット開発を指導した。1994年、文化勲章を受章。

Line3.線路軌間の見直し  ==弾丸列車の原点==

 日本で最初の鉄道はイギリス人技師の指導のもとに建設され、1872年(明治5年)、に開通した。これは、東京〜新橋を結ぶ約30qの線路だった。イギリス人技師は、明治政府に、 日本は山地が多く、入組んだ海岸線も存在するため、線路用地の確保が困難である。また、産業が未発達であり、輸送物資も少ないだろうという予想のもと建設が進められた。そのため、軌間も1435oが標準軌であるのに対して、1067oという狭軌であった。

 しかし、その後の日本の発達は、彼らの予想を越えるものであった。だが、輸送力強化を進めるにも、車輌の大型化が不可能であるうえ、スピードアップも危険である。そこで、標準軌への変更の提案が、何度か出され、安次郎もそれを強く主張したが、狭軌を走る列車が、広軌路線に乗り入れることができず、不便であるという結論に達した。

 さらに、中国との戦争が激しくなるにつれて、膨大な兵員と武器、食糧などを中国大陸に輸送する必要が生じた。日本列島から大陸へは、主に山口県の下関と朝鮮半島の釜山を結ぶ航路が使われていたが、下関までの輸送は鉄道が担っていた。その輸送力が限界に近づいているわけで、もしも軍事輸送が遅れれば、戦争に負けることは明らかであった。

 新幹線計画の特別調査委員長となった安次郎は、すぐに人材を集め、ルート、列車の研究会を開いた。そのとき安次郎は69歳であったが、驚くほど短期間で研究をまとめた。その結果、次のようなものになった。「東京〜下関(約1000q)に新たな広軌の鉄道を敷く。列車の平均時速は120〜130q/h、最高時速150q/hで走らせ、東京〜大阪間(約500q)を4時間半、東京〜下関間を9時間で結ぶ。建設軌間は15年とする」
しかし、当時の計画では、蒸気機関車が客車を牽引するという方法を前提としていたため、現在の新幹線とはかなり違うものであったと思われる。



        当時の弾丸列車計画図

Line4.「弾丸列車」計画

 「弾丸列車」計画、すなわち政府の広軌鉄道建設計画は、昭和16年(1941年)に着工され、戦時体制下の突貫工事が始まった。しかし、太平洋戦争での戦局悪化で、昭和18年、新丹那、日本坂、東山など長大トンネルの一部着工と、約100qの用地買収が終わった段階で、工事は中止されてしまった。

 そして、敗戦と、その後の混乱で「弾丸列車」工事は再開されなかった。しかし、この計画は結果的に東海道新幹線計画の源流となった。「弾丸列車」計画で着工されたトンネルや買収済用地のほとんどが新幹線計画で活用され、新幹線の早期完工に大きく寄与することになったのである。まさに「弾丸列車」計画こそ、東海道新幹線史の第1頁を飾るものといえよう。

Line5.東京−大阪間3時間への可能性

1957年 (昭和32年)5月、東京銀座ヤマハホールで、国鉄鉄道技術研究所主催の講演会が開かれた。その内容は、東京−大阪間に広軌電車による新幹線を建設し、最高速度250q/h運転で、両市間を3時間で結ぶことが技術的に可能であるというものだった。

新幹線計画の、中心人物の一人、三木忠直氏は戦時中、爆撃機の設計を行っていた航空技術者だった。「飛行機」の理論を「鉄道」に持ち込み、「夢の超特急」を設計した。

翌年の昭和32年12月、東海道新幹線建設が閣議決定された。また、東京オリンピックが昭和39年10月に予定されていたので、それに間に合うことが期待された。1959年 (昭和34年)4月、新幹線は東京−大阪間路線増設工事として認可され、4月20日、熱海市の新丹那トンネル東口で東海道新幹線の起工式が挙行された。

Line6.新幹線軌道  ==高速運転の実現==

 軌道については、欧州において既に210q/h以上の高速運転が行われていた。しかし、1回の走行による車輪の横圧によって線路に大きな狂いが発生するなど、2回目の走行でさえ不可能な状態となっていた。

 このような高速運転による過大な横圧などに対処するための軌道設計の研究が行われるとともに、高速の営業運転を維持する軌道保守の方法を確立することが最重要課題となっていた。新幹線の軌道保守については、試験運転を繰り返しながら、軌道狂い量を小さく保ち、かつ効果的な保守作業を行うため、4種類の軌道整備目標値が設定されるなど、新たな保守基準が整備されていった。これは、高速運転を実現するためには絶対不可欠なものであった。


   土路盤上スラブ軌道
Line7.安全対策  ==開業以来、死亡事故ゼロの原点==

 ATCとはAutomatic Train Controlの略で、自動列車制御装置のことである。これは、新幹線のレールを約3qごとに区分し、この区間ごとに信号電流を流す。列車は車載受信機でこの電流をひろって、許容最高速度が運転台に示される。この速度以内で運転していく方式である。したがって、赤青などの色灯式の信号ではない。運転士がブレーキをかけなかった場合、自動的にブレーキがかかり、許容速度以下に減速する仕組みとした。これにより、例え運転士が眠ってしまったとしても安全速度まで減速できる。先日発生した居眠り事故においても、このシステムがあったからこそ、無事に停車できたのである。

 CTCとはCentralized Traffic Controlの略で、列車集中制御装置のことをいう。新幹線各駅のポイント、列車位置、進路表示等必要な現地の情報は全て、東京駅にある集中制御所から、遠方制御で操作する方式がとられた。



  ATCのブレーキパターン
Line8.試験運転の開始

東海道新幹線の高速運転に採用された新技術については、神奈川県の綾瀬から鴨宮に至る延長約32kmのモデル線による速度向上試験を繰り返して、さまざまなデータを得ることにより確立していった。この試験運転で256q/hの世界最高速度を記録し、東京−大阪間210q/hの営業運転が可能となった。このモデル線は、東海道新幹線の一部として現在も使われている。

Line9.世界最高速度の営業列車  ==500系==

 平成8年(1996年)、最高時速300q/hという日本最高、そして世界でもフランスのTGVとともに最高速度での営業を開始した。これは、JR西日本の500系である。

 500系は、車体の断面積を減らし、モーターの出力をアップさせた。高速運転中の乗り心地を損なわないため、セミアクティブサスペンションと車体間ヨーダンパーが装着された。

 セミアクティブサスペンションとは、車体の左右の揺れを抑えるものである。台車に取り付けられたセンサーが揺れを察知し、車体と台車にあるダンパーと呼ばれる減衰装置に振動が伝わると、振動の力でダンパーをさせる仕組みになっている。

 車体間ヨーダンパーとは、車体の端での横揺れを抑えるものである。車輌と車輌とが連結されているところの外側の下側にダンパーを設け、16両編成全体を強く固めることで揺れを抑え込む仕組みになっている。


     500系
Line10.そして、リニアモーターへ

 超伝導リニアモーターカー、すなわち超伝導磁気浮上式鉄道は、従来の鉄道のように車輪とレールとの摩擦を利用して走行するのではなく、車輌に搭載した超伝導磁石と地上に取り付けられたコイルとの間の磁石によって非接触で走行する全く新しい輸送システムである。従来の鉄道と異なり500q/hといった超高速走行が安定して可能である。また、同じ速度域での騒音・振動が大幅に低減できるなど、21世紀の大量高速輸送システムといえる。しかし、ランニングコスト、イニシャルコストが大きいという欠点もあり、コストダウンを図るべく、研究を進めている。



参考資料

物語・20世紀人物伝/第二巻 発明・発展への挑戦/著者 天沼春樹 他/株式会社 ぎょうせい

新幹線の謎と不思議 / 梅原 淳 著 / 東京堂出版

東海道新幹線30年 / 須田 寛 著 / 大正出版

新幹線=高速鉄道のすべて= / 高速鉄道研究会 / 山海堂

NHK homepage

JR東海 パンフレット